大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所小田原支部 昭和47年(ワ)139号 判決 1973年6月19日

原告

新名謹之助

ほか一名

被告

セントラル物産株式会社

主文

一  被告は、

(一)  原告新名謹之助に対し、金二、七七二、八四二円及び内金二、五七二、八四二円に対する昭和四七年七月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、

(二)  原告新名ヨシ子に対し、金一、八八二、二〇〇円及び内金一、六八二、二〇〇円に対する昭和四七年七月六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮りに執行することができる。

事実及び理由

申立

(原告両名の求めた裁判)

主文と同じ。

(被告の求めた裁判)

(一)  原告等の請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は、原告等の負担とする。

主張

(原告主張の請求の原因)

一  事故の発生

訴外新名道は、次の交通事故により死亡した。

(一)  発生日時 昭和四六年一一月四日午後四時三〇分頃

(二)  発生場所 小田原市栄町一丁目一三番一八号国道二五五号路上

(三)  加害車 小型貨物自動車 相模四四せ七一三

(四)  運転者 訴外 渡辺賢次

(五)  事故の態様 訴外渡辺賢次は、本件道路上を市民会館方面から小田原駅方向に向け進行中、折から本件道路の横断歩道上を横断中の亡新名道にその運転する加害車を衝突させた。このため、亡道は、頭蓋底骨折・環推破裂骨折等の傷害を受け、右事故から約三時間後の同日午後七時一七分死亡した。

二  責任原因

被告は、加害車を所有し、自己のため運行の用に供していたものであるから、自陪法第三条により原告らの損害を賠償する責任がある。

三  原告らの権利の承継

原告両名は、被害者亡新名道の養子であり、それぞれ二分の一の法定相続分に従つて亡道の権利を承継した。

四  損害

本件事故により原告らは次の損害を受けた。

(一)  葬儀費用(原告謹之助に生じたもの) 金 八九〇、六四二円

(二)  亡道の逸失利益 金 二、九二四、四〇〇円

亡道は、学校法人新名学園の創立者の子であり、永年同学園の教諭として勤務し、昭和二六年五月から昭和四三年一一月のうち約一五年余り同学園旭丘高等学校の校長の職にあり、昭和四六年一月一八日右高等学校の名誉校長(終身)に任ぜられ、右名誉校長の職務に対しては年額金六〇万円の給与と、私立学校教職員組合から年額一二万円の恩給年金の給付を受けていた。亡道は、本件事故当時七四才の健康な女性であつたから、厚生省第一二回生命表によれば、なお八・六六年生存し、右期間右給与及び恩給年金を得たはずであり、生活費として、一ケ月金二万円(一ケ年二四万円)を控除して、得べかりし利益の現価をホフマン式計算により中間利息を控除して算出すれば金二、九二四、四〇〇円となる。

(三)  原告らの慰藉料 各二〇〇万円

(四)  弁護士費用 各二〇万円

五  控除

原告らは自賠責保険金三五六万円を受領しているので、これを二分してそれぞれの損害の一部に充当した。

六  よつて、被告に対し、原告新名謹之助は、二、七七二、八四二円及び内二、五七二、八四二円に対する本訴状送達の日の翌日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金、原告新名ヨシ子は、一、八八二、二〇〇円及び内一、六八二、二〇〇円に対する本訴状送達の日の翌日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

(被告の答弁)

一  原告の主張する請求の原因第一項の事実中、(一)ないし(四)の事実は認める。

同(五)の事故の態様については、死亡事故である点のみを認め、その余の事実は争う。被害者にも次のような過失があるので過失相殺を主張する。

すなわち被害者には、道路を横断するに当り左右の安全を確認しない過失がある。又、本件交差点を左折していた車両の蔭から、被害者が横断歩道上に進出したのであり、この様なときは、特に右方の車両の動静に注意すべきであるのにこの注意義務を怠つた過失がある。

二  同第二項中、被告が本件自動車の保有者であることは認める。

三  同第三項は知らない。

四  同第四項は争う。

被告は、葬儀費用として金三〇万円を支払つた。

なお、原告等が請求する名誉校長(終身)給与及び共済組合年金は、被害者が生存している間だけ支給されるものであるが、本人の労働の対価としての性質を有するものではないから、本人死亡による不支給を、本人の労働能力喪失による損害として考える余地はない。この種収入は、もともとその範囲を本人の生存期間と一致せしめられる性質のものであつて、本人の死亡の原因が何であるにせよ、本人が死亡する限り基本的に受給権が消滅するものであるから、被害者の推定余命期間中基本的受給権があることを前提として、その逸失利益を請求するのは理由なきものと思料する。

名誉校長としての終身給与は、過去の功労に対して与えられるもので、極めて一身専属的性格が濃厚であり、又、共済組合年金も、生活保障的性格のもので、これ又一身専属的性格が濃厚である。受給者死亡後の相続人の生活保障まで考えた制度ではないのである。

原告等は、被害者の養子としての相続人であり、社会的に高い地位にあり、社会の指導的立場にある方々であり、被害者によつて扶養されていたのでは因よりなく、独立に生計を維持していたもので、扶養請求権喪失による損害賠償を請求することが出来る立場にたつておられるのではない。遺族の扶養の期待利益の喪失の填補が、損害賠償制度の存在理由の一面とすれば、右の様な社会的経済的に高い地位にある原告等には、経済的実質よりみて、逸失利益による賠償請求権を認める合理性はないと思料される。

結局、本件被害者の収益は、夫々極めて一身専属性が強いものであるから、相続の対象とはならず、又、労働の対価としての性質もないため、被害者の死亡による不支給を、本人の労働能力喪失による損害として考えることはできず、更に原告等は、被害者より扶養される立場になく、経済的社会的に高い独立の生計を維持されて居り、実質上、逸失利益による賠償に請求権を認めるに足る理由がなく、本件逸失利益の請求は理由がない。

五  同第五項の事実は認める。

六  同第六項は争う。

証拠〔略〕

判断

新名道は、昭和四六年一一月四日午後四時三〇分頃、小田原市栄町一丁目一三番一八号先国道二五五号線上で、渡辺賢次の運転する被告所有の小型貨物自動車(相模四四せ七一三)による交通事故で死亡したことは、当事者間に争いがない。

〔証拠略〕を総合すると、

本件事故現場は、別添見取図のとおり、南方裁判所方面から北方小田原駅に通ずる市街地を走る道路で、車道の幅員は一〇・七米あつてアスフアルト舗装が施されており、両側に二・五米ないし三米の歩道を備え、平坦で、前方一〇〇米前後の所で左にカーブしているけれども事故現場附近は直線道路で見通しは良い。現場は、右の国道を横ぎる横断歩道(見取図中二葉の点線内)をはさんで変形十字路となつており、信号機の備付はない。自動車の速度は、時速四〇粁に制限されているが、約三〇〇米先にある国鉄小田原駅で東海道線に丁字路に突き当るためと、小田原駅までに多くの横断歩道が設けられている関係上、殆んどの車がゆつくりした速度で走つており、多くの人々が国道を横断するために、歩行者優先の極めて徹底した地域である。当日は、天候は晴で路面は乾燥しており、時間的には午後四時三〇分頃でまだ十分明るい時間帯であつた。

被害者は、当日小田原の裁判所で開かれた調停委員会に調停委員として出席関与した後、裁判所から北方小田原駅の方面に向つて歩道を歩行して来たが、栄町一―一三―一八のインテリア家具店(見取図参照)前から東の方清水化粧品店(見取図参照)の方に向つて、本件横断歩道の中央を右手を高くあげて、進行中の自動車に合図をしながら、普通の速度で本件国道を横断し始め、道路中央付近まで進行した時、本件事故車に激突されてその場に転倒し、脳挫傷・頭蓋底骨折・環推破裂骨折・後頭部打撲挫創・右側頭部挫創等の傷害を受け、死亡するに至つた。

一方渡辺賢次は、時速約四〇粁(それ以上の疑が濃い。)で裁判所方面から小田原駅の方に向つて進行して来て、そのままの速度で横断歩道を通過しようとしたが、進路左側の横断歩道手前の道路から本件国道に進入しようとしていた自動車に気をとられ、被害者を自車(見取図<二>点)前方七米付近(見取図点)に発見し、あわてて急停車の処置をとつたが及ばず、自車前部中央付近を被害者に激突(見取図×点)転倒させたものである(渡辺は、左側道路から国道に進入した自動車の陰になつて、被害者が見えなかつたと供述するが、全く信用できない。)。

と認められ、右認定に反する〔証拠略〕は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実関係からすれば、被害者については、これと云つて斟酌すべき過失は見当らず、本件事故は、もつぱら渡辺賢次の一方的過失に基くものといわなければならない。

とすると、被告は、本件事故車の保有者として、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務のあることは、明らかである。

〔証拠略〕を総合すれば、

被害者は、学校法人新名学園の創立者の子供であつて、永年同学園の教諭として勤務しており、昭和二六年五月からは同学園経営の旭丘高等学校の校長として昭和四三年一一月までの間において約一五年余その職にあり、昭和四六年一月一八日、右旭丘高等学校の終身名誉校長に任命された。

名誉校長に対しては、旭丘高等学校から毎年六〇万円の給与の支払があり、また、私立学校教職員共済組合から年額一二万円の年金が被害者に支給されていた。

被害者は、調停制度発足以来家庭裁判所の調停委員の委嘱を受け、七四才で死亡する(推定余命はなお八・六六年あり。)までその委員の職にあり、裁判所からは、永年調停委員を勤めたことにより表彰を受け、国から、従五位勲四等に叙せられており、県その他からの表彰は数えきれない程であつた。死亡当日も、元気で小田原の裁判所で開かれた調停委員会に出席関与したばかりであつた。

と認められ、右認定に反する証拠はない。

元来、人身事故の場合における損害賠償請求事件は、裁判所に対して損害額の確定を求める形成訴訟ないし非訟事件と、そこで確定された金額の支払を求める給付訴訟とが混然一体となつた訴訟形態であつて、単なる損害金の支払を求める給付訴訟に止まるものではないといわなければならない。従つて、原告としては、請求原因として、最少限度、事故の発生と傷害ないし死亡の事実を主張立証すれば十分であり(過失は推定を受ける。)、損害の発生とこれに対する評価はもとより、過失を構成する事実自体の存否とこれに対する金銭的評価の全てに対して裁判所の職権作用が介入するもの、いや介入すべきものであつて、事故の態様・過失割合・傷害の部位程度・推定余命・労働可能年数・死亡当時の所得(無所得者についてすら将来の逸失利益が認められる。)その他一切の事情は、裁判所が損害額を算定する上で考慮すべき単なる訴訟資料に過ぎず(法律構成要件事実には該当しない。)、損害賠償訴訟は、全て裁判所の自由裁量に基く決定に任ねられているものと解するのが相当である(現在においても、一応財産的損害と認められる逸失利益と、精神的損害である慰藉料との自由な交流が許容されている。)。それ故、裁判所は、必ずしも原告の主張する逸失利益・慰藉料・葬式費用・弁護費用等の額に拘束されることなく、交通事故による損害賠償請求は、単純一個の請求として、相互の流用を行つた上、原告の申立の範囲内において、自由な心証に基いてその損害額を確定できるものと解すべきである。

現今水俣病裁判においては、死亡者一人あたり一、八〇〇万円の損害の賠償が命ぜられている点等に鑑み、前記認定のように本件における被害者の経歴・社会的地位・収入・その他本件訴訟に表れた一切の事情を考慮すれば、被害者の死亡当時におけるその生命の価値を金銭で評価するとき、少くとも、一千万円を下らないものと見るべきであると共に、その生命の価値の毀損に基く損害賠償請求権は、一身専属的なものではなく、当然に相続の対象となるものといわなければならない。

本件事故に関しては、自賠責保険より金三五六万円が支出されていることは当事者間に争いがないところ、前記一千万円よりこれを差し引いても、なお六四四万円が残ることとなるが、その残額については、原告両名が相続人として(〔証拠略〕)平等の割合による権利を有するものであり、被告の支払つた三〇万円の葬式費用(〔証拠略〕)を差し引いても、原告新名謹之助の求める金二、七七二、八四二円及び原告新名ヨシ子の求める金一、八八二、二〇〇円と右各金員に対する本件訴状送達の翌日である昭和四七年七月六日より年五分の遅延損害金の支払請求は、いずれも理由がある。

よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告等の本訴請求は、全部正当として認容すべきであり、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉永順作)

交通事故現場見取図

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例